8月13日の朝日新聞のコラム「天声人語」より。
~~実話か作り話か定かではないが、こんな話を聞いたことがある。
昔、乾燥地の国から来た客人が、ひねると水がほとばしる蛇口を見て
「土産に欲しい」と熱望したそうだ。
水道を知らなかったので、蛇口が奇跡の水源に見えたものらしい
時代がかった話だが、命の水に事欠く人は今も少なくない。
国際協力機構(JICA=ジャイカ)の発行するジャイカズ・ワールド8月号が
「一滴の重み」と題して特集している。
その表紙、蛇口の水を両手で飲むアフリカの少女の写真が目を引く。
したたる貴重な水は、透き通った宝石のような輝きだ。
水を欲して飲むとき、人はだれも真剣な顔になる。少女も一心そのものだ。
のどを通った水は胃に落ちて五体をみたす。
この蛇口ひとつに、どれだけの人が命をゆだねているのだろうと思う。
日本では、1人1日平均で約370リットルも使うそうだ。
体重が60キロなら重量は6倍を超す。
片や世界には安全な水を得られない人が8億人近くいる。
水は天下の回りものだが、「一滴の格差」は著しい。
「水道のせん」という詩が、まど・みちおさんにある。
〈水道のせんをひねると 水が出る/水道のせんさえあれば/
いつ どんなところででも/きれいな水が出るものだというように……〉
と、日ごろの勘違いを戒める言葉が続く。
そう、蛇口は魔法の水源ではない。
乾いた大地から一滴一滴をしぼり取るように生きる人々に、思いをはせたい。
天与の水を当たり前とせず、水清くゆたかな国土への感謝とともに。~~
“日頃の勘違い”という言葉に、深く考えさせられた内容でした。
「当たり前」と思うか、「有り難い」と思うか。
もうすぐお盆ですが、ご先祖に感謝を込めて、
お墓を磨いてきます!サンキュゥ♪(o ̄∇ ̄)/
それではっ!